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2000/08/06

7. 8月6日

 昨年3月、私は広島に行きました。目的は、広島への原爆投下に関する事実を知るためでした。日本は戦争における唯一の核兵器被爆国です。そして、広島と長崎がその犠牲になった場所であることは、当然ながら知っていました。でも、原爆が落とされたことで一体どんなことがその場所で起こったのかについてはあまり詳しくは知りませんでした。このことについては以前から関心があり、テレビの特集などは見るようにしていましたが、それでもなんだかピンと来ませんでした。やはり現地に行ってみないとわからないのだろうと思い、思い切って広島に行きました。小雨の降る寒い春の日でした。

 広島に着いて、先ず原爆ドームを見に行きました。ドームそのものは廃墟となった建物でした。でもそれが一瞬にして起こった出来事であることを思うと原爆の破壊力のすごさに恐ろしくなりました。

 続いて平和記念公園を歩いて巡り、原爆死没者慰霊碑にお祈りをして、平和記念資料館を見学しました。館内を5時間かかってゆっくりと見学しました。広島の歴史から始まって原爆投下による壊滅、そして、その後の復興と様々な資料が展示されていました。

 被爆者の方々の遺品も展示されており、その中には、血のついたぼろぼろの衣服がありました。また、原爆投下数時間後の被爆者の方々を撮った貴重な写真がありました。おそらく水場と思われる場所に集まっている方々の衣服は、やはり皆ぼろぼろでした。着ている衣服が一瞬にしてあんなぼろぼろになるなんて、まんがのようなことが実は本当だったなんて、私はショックでした。それから、生き残った被爆者の方の証言ビデオがありました。また、生き残った被爆者の方が画いた絵がありました。そこにはその絵の説明も書いてあり、ものすごい臨場感を伴って私に迫ってきました。当時とても大切な生活必需品であった重い石臼を持って逃げる女の人、横たわり血を流しながら「いたいよー」「水をください」「たすけて」と言っている被爆者の方々。すべてが私にはとても衝撃的でした。私は被爆者の方々のそのときの気持ちになろうとしました。でも、苦しくて、辛くて、被爆者の方々の気持ちになりきることはできませんでした。きっと、そのときの被爆者の方々には、何が起こったのかわからなかったことと思います。とても好い天気の清々しい朝に、突然、今まで経験したことのない衝撃を受け、吹き飛ばされ、ねじ伏せられ、気づいてみたら、全身が熱くて痛くて、着ているものは皆ぼろぼろ、周りを見れば、今まで建っていた建物が一瞬にして瓦礫になっている。他の人もみんな自分と同じようになっている。一体何が起こったのだろうと呆然とするしかない。どうしたら良いのかもわからない。このような状況ではなかったかと、やっと想像できるくらいでした。

 私は、この原爆を知る旅を通して思いました。それは、自分を被爆者に置き換えてみて、あのような状況でも自分はあきらめずに『生きよう』という意志を持ち続けられるだろうかということです。大きくても小さくても、心配してもしなくても、自分に災難が来るときは突然やって来ます。そのとき自分はしっかりとした意志を持って生き抜くことができるだろうかということです。『決してあきらめずに生き抜くんだよ』と、被爆者の方々は私に語りかけ、諭してくださったように思います。被爆者の方々、どうもありがとうございました。皆様のご冥福をお祈りさせて頂きます。そして、皆様のことを胸に秘めつつ、必ず平和な世の中を築きます。

平成12年8月6日
史上初めて原爆による犠牲者が出た日からちょうど55年目の日に、平和への祈りを込めて

Dr.0910

目次 6.一周年 8.新装オープン

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