2003/2/17 uploaded
さて、第二章では物質的な側面から「自分」という存在を追究していったところ、「自分」という存在はとても曖昧で実体のない存在ということになってしまい、虚しくなってしまいました。しかし、敢えて非物質的な側面から自分を「内的な存在」として捉え、「まず心ありき」と考えることにより、「自分」とは実はもっと大きな存在なのではないかと思えてきます。そしてそのことを追究していくことは、『いのち』を探る旅の上では欠かせないことだと私には思えます。
それでは、内的な存在としての自分である『心』とは一体どのようなものなのでしょうか?
さあ、さらなる旅を続けましょう。