念力と言えば、そのような“物を動かす”現象ではなく、もう一つ重要な現象があります。それは「スプーン曲げ」です。これも同様に、スプーンを曲げようと念ずることによって発生した波動が、スプーンに到達して力を発生し、スプーンを曲げたと考えられなくもありません。でも私はちょっと違った理解をしています。(確かに私は、第六章で、スプーン曲げも念力の一種と考えられるとお話ししましたが、それは、“念ずることによって起こる現象”という範疇に入るという意味であり、そのすべてが同様のメカニズムで起こるという意味ではありません。(^_^;)

 念力と言うと、物に対して“動け”とか“曲がれ”という念を送って、その念が力となって現象を起こすというようにイメージしがちです。物を動かす時の念力はそのようなイメージで良いのかもしれませんが、スプーン曲げは違うと思うのです。それはなぜかと言いますと、あの有名なユリ・ゲラーが、後に、次のようなことを言っていたのです。

「スプーンを曲げようと強く念じてもスプーンは曲がらない。スプーンには元々曲がろうとするエネルギーが封じ込められている。そのエネルギーを解放するのだ。」と。

 実際、ユリ・ゲラーがスプーン曲げをしている時には、スプーンを撫でるようにしていて、そのうち、スプーンが柔らかくふにゃふにゃになり、やがて折れてしまったのです。そこには、念でスプーンを“曲げた”という印象はありません。ユリ・ゲラーの言葉通りに解釈すれば、スプーンには曲がろうとするエネルギーが封じ込められているのですから、そのエネルギーを解放させたのです。解放されたエネルギーは、おそらく様々な方向に曲がろうとするエネルギーの集合体でしょうから、相殺されて、一見、スプーンは曲がらないように見えます。でも、そのような状態は、わずかでも物理的な力を加えればスプーンが曲がってしまうような、すなわち“ふにゃふにゃ”の状態のはずです。そして、そのような状態は、金属原子の結合状態が緩くなっているのではないでしょうか。だから、その後、わずかな力で折れてしまったのではないでしょうか。

 その時、ユリ・ゲラーは何をしたのかと言いますと、スプーンに封じ込められているエネルギーを解放するように働く波動を発生したのだと考えるわけです。

 これはまさにラジコン・カーのイメージです。ラジコン・カーは、ラジコンの電波の力によって車が走るわけではありません。車を走らせているのはあくまでも車に搭載されているモーターの回転力です。ラジコンの電波は、そのモーターを回すスイッチが入るようにプログラムされた信号を送っているだけなのです。つまり、ラジコンの電波は、ラジコン・カーに直接作用するわけではなく、元々ラジコン・カーの中にある回路に働きかけて車を走らせているのです。ユリ・ゲラーも同様に、スプーンに直接念を作用させて曲げているのではなく、元々スプーンに封じ込められているエネルギーに働きかけて、間接的にスプーンを曲げていると考えられるのです。

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