内的な存在であるがゆえに、その由来を脳に求めがちですが、ここでは敢えて逆に考えて見ましょう。

 つまり、「まず内的な自分である『心』が存在し、その自分を外であるこの現象界に表現する為の窓口として脳が機能している」と。このように考えると、この現象界における物質的な側から自分を捉えていくと、脳の機能として表現されている自分しか捉えることができず、自分は脳に由来するという結論になっても仕方がありませんが、実際には、そのような方向から捉えた自分は、脳が表現しているバーチャルな自分であることになります。しかも、脳が内的な自分のすべてを表現しているとは限りませんので、その場合、脳の機能として表現されている自分は内的な自分の一部分でしかないことになります。

 それはちょうどテレビ放送が始まった頃、その原理を良く知らなかった人がテレビの中に人が入っているものと誤認していたことに似ています。また、テレビ画面を通して見ている姿をその人のありのままの姿だとつい錯覚してしまうことにも似ています。実際には、テレビの中に人が入っているわけではなく、また、テレビ画面を通して見る姿は、演技している仮の姿であったり、単にその人の一側面であったりするわけで、それ以外にも様々な面を人は持っています。すなわち実態は見える部分の背後にあり、かつ見える部分よりも大きいのです。

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