日常生活の中で、私たちが『力』に付いて言及するとき、私たちはどうしても、力の大小あるいは強弱を意識してしまうのではないでしょうか。例えば、「筋力が強い」「記憶力がよい」「指導力がある」など。

 そして私たちは、自然界の現象はそれらの力の大小(強弱)によって規定されている如くに捉えているように私には思えるのです。

 例えば、病気は、病原菌や癌細胞などの病気を起こそうとする力と、それに対抗しようとする生体の力(免疫力・自然治癒力)のせめぎ合いであるというような。

 さらに私たちは、自分たちの行動もそれらの力の大小(強弱)によって規定されてしまうと捉えているように私には思えます。

 その結果、私たちは自分よりも力が強いと認識した相手に対しては、受動的に行動しがちになります。つまり、高い場所から低い場所へと水が流れる如くに、あるいは、電圧の高い側から低い側へと電流が流れる如くに、その力の強弱には逆らうことができないものの如くに行動してしまうのです。

 また逆に、自分のほうが力が強いと認識した相手に対しては、相手の意思に関わらず、自分の思うように行動することを期待しがちです。そして、自分の思いが強い場合は強制になりがちです。

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