先に書きましたように、宗教に実効力を与えるのは、個人の信仰であり、あくまでも「個人」が主役なのです。ある宗教を信仰し宗教教団に入信するのは、その人、個人の問題のはずです。なのに、現代日本人の宗教への恐れは、個人を全く棚に上げています。あたかも、個人には全く責任がないかのような認識です。あくまでも信仰は個人のものです。宗教教団のような集団の中では盲目になってしまう、あるいは、自分だけ別行動は取れないというのは、単に、“現代日本人の自己が確立していない”ということではないでしょうか。宗教の件に限らず、「ほかのみんながやっているから‥」「○○さんがいいって言ってたから‥」「テレビでいいって言ってたから‥」こんな理由で行動を起こして、後で後悔するような結果になったとしても、自分で取った行動の責任は「ほかのみんな」や「○○さん」や「テレビ」にあるのではなく、自分自身にあることをしっかり自覚する必要があります。現代日本には、個人ができるだけ責任を逃れようとする風潮が、日常生活の様々な局面に広くはびこっているように思います。

 私たちが“何が真実かを見極める”ことができるようになる為には、まず、自分自身に責任を持つことが必要なのではないかと思います。あるいは、その前に、自分自身に責任を持てるよう自己を確立する必要があるのかもしれませんが‥。(自己を確立していれば、知らないことに対してやみくもに拒否的態度を取る必要はないでしょうから。^_^;)

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