ちょっと脇道にそれるかも知れませんが、現代日本人は、なぜか宗教の話に非常に敏感に反応します。もっとはっきり言うと、宗教的な話をする人を危ない人ではないかという目で見がちです。また、無宗教であることがあたかも“まともな人間”であるかの如くに、無宗教であることを公言する人もいます。なぜこのような行動をとるのかには幾つか理由があると思います。宗教を文明が発達する前の前時代的な文化的遺物のように思っているのかも知れません。(わかりやすく言えば、神や仏など馬鹿馬鹿しいということです。)また、知人に誘われてある宗教教団に入信したことにより、全財産をつぎ込んでしまったというような話も聞きますし、10年前には、ある宗教教団が日本中を震撼させたとんでもない大事件を起こしたりもしましたから、宗教というのは危ないものだという認識をしているのかも知れません。

 しかし、このような認識や行動は、現代日本人が宗教というものに関して何も知らない(知ろうとしていない)ということを如実に表していると思います。なぜなら、宗教とは単なる「教え」だからです。例えば、キリスト教ならば、イエス−キリストが人々を導いていった言葉やエピソードを教えとしているのです。ただの教えですから、宗教から個人に対しては何の強制力もありません。まして、神や仏が人間に対して何かを強制できるはずもありません。宗教に実効力を与えるのは、個人がその教えを信じること、すなわち「信仰」による以外ありません。あくまでも「個人」が主役なのです。

 おそらく、現代日本人が恐れている宗教とは、実は「宗教教団」のはずです。ある教えを信じている集団の中に入ってしまうと、まるで盲目にでもなったかのように、傍から見れば異常とわかる行動でも何の違和感もなく取ってしまう、あるいは、取らざるを得なくなってしまう。そして、後で冷静になって振り返ることができると、自分が取った行動のおかしさがわかり、恥ずかしくなったり、後悔したり‥。このようなことへの恐れがある為、宗教に敏感に反応してしまい、宗教そのものを否定するような行動を取ってしまうのではないでしょうか。

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