幼い私の中では、“立派な人”や“偉い人”と「輪廻」が合体していたのです。先にお話ししましたように、私が通った保育園はお寺さんでした。だから、多分そこで人の生まれ変わりの話をしてもらったのだと思います。その頃の私の生まれ変わりに付いての認識は、「人は死んだら天国へ行くけれども、神様や仏様のような“立派な人”になっていないと、もう一度、人として生まれ変わることになり、その生まれ変わりは“立派な人”になるまで続く」というような感じでした。つまり、“立派な人”や“偉い人”になるということは、“もう生まれ変わらなくてもいい人間”になることだと思ったのです。

 しかし、その“もう生まれ変わらなくてもいい人間”というのが、一体どのような人間なのかがわかりませんでした。輪廻の思想においては、“もう生まれ変わらなくてもいい人間”つまり“解脱した人”というのは、人間の最終目標なわけですから、これは、「人間のゴール(最終目標)とは一体何か?」ということになります。

 でも、幼い私にそんなことがわかるはずもなく、そのうち、この疑問からは幾つかの疑問が派生してきました。それは、子供の頃は「どのような大人になればいいのだろうか?」であり、少し大きくなってからは「どのように生きればいいのだろうか?」であり、「人生にはゴールがあるのだろうか?」であり、また、「人はなぜ生きるのだろうか?」でした。そして、それらの問いを突き詰めて行った結果、やがて、『人間とは何か?』という根源的な問いにたどり着いたのです。

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