そうなのです。「丹田」とは「気」の貯蔵庫みたいなものだということなのです。「気=プラナ」は「生命エネルギー」なのですから、気功で病気を治したり、ヨガで健康になるというのも何となくわかります。おそらく空手も「気」が関係しているのでしょう。振り下ろす手から発するエネルギーが、何十枚もの瓦を割っていくのと同時に、その衝撃から手を守っているのだと思います。

 しかし、「気=プラナ」自体が見えない未知のエネルギーですから、「丹田」もその存在を物理的に証明することはできません。ですから、ヨガの本では“考え方”という書かれ方をしていたわけです。しかし、“考え方”だからと言って、全く空想上のものであり、実際には存在しない荒唐無稽のものなのだというわけでは無いのです。手を触れずに人を動かすなどの「気功」に関する現象は事実として存在するわけですから、その現象を説明する「気」とか「丹田」は、現段階では“理論上”の概念であり、それはただ単に物理的に証明する方法が見つからないということなのです。(最近では、気を科学的に研究している科学者の方も多くなっているようで、実際に、エネルギーを測定することも可能になっているようですので、単なる理論上の概念でもなくなりつつあるようです。)

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