ただし、この時の私の感覚は、ホームを歩いている私の思いが、夢を見ている私に伝わって来たという感じではありませんでした。ホームを歩いている私に近づいたところ、「ずっと立ったままで通したぞ。」という感動が、すでに当たり前のように存在していたのです。「がんばったな。ずっと立っていたんだな。」という思いは、「やったぞ。ずっと立ったままで通したぞ。」という感動が伝わって来て、その反応として生じたものではなく、自然に内側から湧き出てきたのです。つまり、感覚的には、夢を見ている私とホームを歩いている私の間に意識の隔たりが無いような感じだったのです。何か、一つのものを別々の方向から見ているのと似たような感じです。(ちょっと、わかり難いでしょうか‥。^^;)
私たちの意識というのは、時空を超えて共有されているのでしょうか?もしそうならば、意識というのは、時空を超えた次元に存在しているということになります‥?!
時空の中のある一点に立っている自分という存在は、時空を超えて存在する大いなる意識のわずかな一部分を共有しているに過ぎないのかも知れません。
それにしても、私の「急行八甲田」の夢は、体外離脱体験だったのでしょうか?もしそうなら、体外離脱中は未来の自分に会いに行くこともできるということになりますが‥?!