まず私たち人間の成り立ちからお話しします。この世で生きている(と思っている)人間は、その基となる魂の一部から、『からだ(BODY)』を構成している霊体・幽体など、すべてが投影されたものだということです。ちょっと何のことを言っているのかわからないかもしれませんので、例えてお話しします。この現象界をスクリーンに見立てると、そこにフィルムの映像が映し出されるわけですが、そのフィルムは一枚ではなく、複数のフィルムが重なって一人の人間の映像を作っているのです。つまり、それらのフィルム一枚一枚が、魂の一部であり、霊体や幽体というわけです。この場合、この現象界に投影された人間というのは、肉体だけではなく、心(あくまでも個人的な範囲)も当然含まれます。そして、この世のすべての人間がそのような仕組みで存在して、人間の世界が形成されます。

 さらに、この現象界のすべての存在物がそのような仕組みで成り立っており、それぞれ、動物の世界、植物の世界、鉱物の世界などが形成されます。そして、人間の世界も含めて、それらすべての投影された世界が重畳して出来上がっている世界が、この世の全体像なのです。先ほどのスクリーンとフィルムの例えでお話ししますと、ある一つの映写機で映し出された世界が人間の世界とすると、その他にも映写機が何台もあり、動物の世界や植物の世界などを一つの同じスクリーンに映し出しているのです。そのようにして出来上がっているとても賑やかな世界がこの世の全体像というわけです。

 しかし、宇宙全体がこのような成り立ちをしているとは思いません。おそらく、この現象界の最も基礎にある地球が、このような現象界の成り立つ“場”を、先の例えで言えば、スクリーンを提供しているのだと思います。

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