この現象界は人間の世界だけではなく、他の複数の世界が投影され、それらが重畳して成り立っている世界なのですから、この現象界では『からだ(BODY)』にあらかじめ織り込まれている一生に干渉してくる要素がたくさんあるのです。人間の世界においては、すべての個人の間で干渉し合っているでしょう。さらに、人間だけではなく、動物、植物、鉱物など、すべての世界からの干渉もあるのです。そんな様々な要素の複雑な干渉が可能なように、この現象界はできているのだと思うのです。そして、それらすべてが人間としての生を送る上での人格形成に関わって来て、人の一生を微妙に、あるいは、大きく変化させて行くのではないでしょうか。
ですから、“私は私”と思っている「自我」は、この現象界において形成されている、いわば“仮のもの”であるはずです。なぜなら、魂の一部である人格の種に『からだ(BODY)』に織り込まれている人格的要素が重畳し、さらに他の様々な要素が干渉した結果、形成されているものだからです。人は死んだら、こだわりがなくなって、怒りや憎しみの感情も消えてしまうと言われますが、それは、こだわりや怒り・憎しみという感情が、他からの干渉によって生じている、この世だけの“仮のもの”だからなのではないでしょうか。
しかし、ここで大事なことがあります。他からの干渉によってこだわりや怒り・憎しみなどの感情を生じてしまう基は、やはり自分自身の中にあるということです。つまり、人格の種としての、魂の一部にその原因があるということです。おそらく、魂の次元ではそのようなことが自覚できないのではないでしょうか。それを自覚できるようにするシステムが、実は、この現象界なのではないでしょうか。