私と神様との最初の出会いは、保育園に通っていた頃です。当時の私にとっての神様は、「敬うべき存在であり、人間に恵みを与える存在であり、人間のやることは何でもお見通しの存在であり、人間にばちを当てる(罰を与える)存在」でした。これは、先ほど挙げた「人間に利益を与える存在」「人間を管理・監督する存在」としての神と同じことであり、幼い頃の私は、日本人としての一般的な神観を持っていたのです。それは当然のことで、そのような神観は、すべて大人から教わったものだからです。

 しかし、第六章(6〜14)でお話ししましたように、ある出来事をきっかけとして、私の中から神様はいなくなりました。

 それからの私は、神の存在を全く否定し、「神様なんてばかばかしい」と言っていました。ただ、初詣には行きました。なぜなら、親が行くからです。単に慣習として行い、全く真剣さはありませんでした。同様に、幽霊の存在も否定しました。神とか霊とかの話を聞くのも拒否しました。つまり、現代日本人に多い、見えないものを頭から全否定し、アレルギーのような拒否的反応を示す、唯物論者のようだったのです。

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