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心臓に学ぶ人間の話

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ここでは、心臓に学んだ
『人間とは?』という問いに対する
一つの考えをお話しさせていただきます。

このページの目次

  1. 人間は心と体から成り立っている
  2. 心と体の関係は?
  3. 自分の体は自分のもの?
  4. 体からあなたへ

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第一章人間は心と体から成り立っている。

 私たちは、よく「健康な肉体に健全な精神が宿る。」などと言って、人間は「心」と「体」からなる存在であるということを意識的にも受け入れています。この場合「心」とか「精神」という言葉をどう定義するかでその意味する内容が変わってきますので注意が必要ですが、ここでは、言葉の違いにはあまりこだわらないで、『自分を自分であると認識し、様々なことに対してあれこれと思いをめぐらせる自我意識、および、その背後にあって自分の思考や行動に影響を与えている潜在意識を「心」と呼ぶことにします。これでもなんだか難しく感じますが、要は私たちが常日頃言っている「心」のことです。

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第二章心と体の関係は?

人間は「心」と「体」から成り立っているわけですが、「心」と「体」の関係はどうなっているのでしょうか?

心から体へ:

 私たちは、心に思ったことは、話したり、体を動かしたりして表現できます。このように私たちは意識したことを体に直接訴えかけることができますが、それだけではなく、意識していないところでも私たちの心は体に働きかけています。実は、心は自律神経系を介して全身に影響しています。例えば、ビックリしたり、感情が高ぶったりしたときは心臓がドキドキします。これは、自律神経系のうち交感神経の働きが高まり、心臓を速くかつ強く打たせるためです。心配なとき、不安なとき、期待に胸が膨らんでいるとき、興奮しているときなどに心臓がドキドキすることがあるのも同様な理由からです。自律神経系は心臓だけではなく全身に分布していますから、心の影響は全身に様々な形をとって現れているはずです。私たちはそのことに気づかないだけで、実は日常普通に起きている当たり前のことなのです。

体から心へ:

 痛みやかゆみなどの様々な感覚や症状・身体所見など、体に現われて私たちが認知できる情報が、体から心に訴えかけるきっかけです。私たちはそれらの情報を認知するとある感情が引き起こされたり、それらに意味付けを行ったりします。そのときの反応は、それらをどう捉えるかという価値観で、人により自ずと異なってきます。すなわち自我意識です。例えば、くしゃみをしたとします。そのとき、健康にいつも気を使っている人は「かぜをひいたかな?」と思うかもしれませんが、健康よりも他人の目を気にしている人は「誰かがうわさをしているな。」と思うかもしれないわけです。“くしゃみ”という同じ情報に対する反応がその人の自我意識により異なってくるのです。すなわち、自我意識とは心における体からの情報の受け皿であり、受け皿が違えば同様の情報に対しても反応が違ってくるのは当たり前です。

 そして、心に生じた反応が再び体へと影響し、また体から心へとエコーのように返っていき、ぐるぐる回っていくことになります。これも当たり前のことなのです。例えば、心配事があるときは心臓がドキドキしてきて、そのことでまた何か病気じゃないかと心配になって、さらにドキドキしたりします。また、何か嬉しいことがあったときは、心はうきうきとして、体も軽やかになり、何をやってもうまく行くので余計に嬉しくなったりします。このように、「心」と「体」は裏表の関係にあり、一体化しているのです。「心」の影響は「体」に現れ、「体」の変化は「心」に影響し、切り離すことはできないのです。

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第三章自分の体は自分のもの?

 これらのことから気づくことは、体はとても素直だということです。心の影響をありのまま体に表現し、心に対してとても単純に感覚や症状・身体所見という情報を送っています。これが体からのメッセージなのです。そして、その素直で単純な体からのメッセージを難解で複雑なものにしているのは心の受け皿なのです。自我意識(価値観)が自分自身の目の前にある現実を複雑なものにし、悩みを作り出しているのです。

 私たちはなぜ体からのメッセージを素直に受け取れないのでしょうか?

 体からのメッセージを受け取る「私」とは、受け皿である自我意識です。私たちが「自分は自分である。」と思っている、その「思い」こそが自我意識です。それでは皆さん次の質問を自我意識に質問してみてください。すなわち自問自答してみてください。

「自分の体は誰のものでしょうか?」

「自分の体は誰のものかって、自分のものに決まってるじゃないか。」今あなたは心の中でこんな風に思いませんでしたか。「そんなの当たり前」のようにも思えます。でももう少し考えてみてください。
「自分のもの」と言う「自分」は自我意識です。「自分もの」ということは、自分が「所有している」ということです。つまり、「自我意識が体を所有している」ということなのです。

「体はあなたの所有物ですか?」

 体があるから私たちは人間としてこの世で生きていけるのです。もし仮に体が所有物だとしたら、体を所有している「あなた」は一体何物なのでしょうか?もはや人間ではありません。

「あなたはそんな得体の知れない存在なのですか?」

 もうおわかりのことと思います。先ほどの「自分の体は誰のものでしょうか?」という質問は、質問自体がおかしいのです。なぜなら、『体は自分自身』だからです。体は自分と切り離された存在ではありません。自分の所有物でもありません。誰のものでもなく、自分の一部であり、自分自身そのものなのです。
 体からのメッセージを素直に受け取れないのは、体を自分自身から切り離して捉えているからではないでしょうか?病気は「自分の所有物に偶然生じた厄介なこと」ぐらいに捉えているのではないでしょうか?病気になるということは、「体がそれまでの状態から変化した状態になる」ということです。元々の永久に変わらない自分の体というものがあって、その体に病気という自分とは全く関係ないものが入り込んでいくのではありません。状態が変化しても自分の体は自分の体であり、自分自身なのです。だから、病気も自分の一部、自分自身なのです。

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第四章体からあなたへ

 体のどこかが痛むからといって厄介物扱いしないでください。痛みに関連したことがらの中にあなたが注意を向けるべき何かがあるのです。
 が出るからといって嫌な顔をしないでください。咳や痰は肺に入ってきた異物を外に排出する働きのことです。煙草を吸ったり空気を汚したりして肺にたくさん異物を入れているのは誰ですか。それでも肺はあなたを生かすために今のこの瞬間も働き続けてくれています。肺がなければ私たちは生きられないことはご存知ですよね。
 下痢をするからといってこわれたおなかだと思わないでください。下痢はあなたが口から取り込んでしまった悪い物を体の外へ排出する働きのことです。体の浄化作用が正常に働いているのに、なぜ「腸が悪くなった」と言って体を悪者扱いするのですか。
 足腰が弱くなったからといって、もうろくしてもうだめだなんて言わないでください。あなたを何十年と支えてきてくれたんですよ。そして今も「もうろくしても」あなたを支え続けてくれています。

 過去の自分や他人と比べてみて、どんなに劣ったように見えたとしても、体は今もあなたを生かし続けてくれています。なぜなら、体はあなた自身だからです。

Dr.0910

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