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細胞に学ぶ平和の話

−第2部−

このページの目次

−第1部−

  1. はじめに
  2. 相似象の話
  3. 相似象から見た細胞の話

−第2部−

  1. 日本と私
  2. 細胞に学ぶ日本の話
  3. 失われた求心力

−第3部−

  1. 細胞に学ぶ平和の話
  2. キミが世は千代に八千代に
  3. おわりに

4.日本と私

 これから私は『日本』についてお話ししようと思いますが、その前に皆さん、私の個人的な話を聞いてください。この話をしておかなければ、『日本』について話すことができないように思うのです。

 私は『日本』のことを考える時、『天皇』は切っても切れない存在と考えています。「天皇とは一体どういう存在なのか?」「天皇はなぜ存在しているのか?」皆さんは考えたことがおありでしょうか?私は小学生の頃から疑問に思っていました。

 小学生の頃、私はプラモデルを作るのが大好きで、戦車や戦艦のプラモデルを作っては良く遊んでいました。特に、戦艦は大好きで、本を買って読んだりもしていました。ですから、当然のことながら、日本がかつて第2次世界大戦でアメリカと戦争したことは知っていました。でも、詳しいことは知らず、「どうして日本とアメリカは戦争することになったのだろう?」「日本とアメリカはどのようにして戦争を終わらせたのだろう?」と疑問に思っていました。やがて、社会科の授業でこれらの疑問の答えを知らされる時が来ました。先ず、日本が先にアメリカに対して戦争を始めたことを知り愕然としました。多くの人の命を奪った悲惨な戦争を日本が自ら起こしたなんて、初めはとても受け入れられませんでした。何だか日本人である自分が恥ずかしくなりました。そして、日本はアメリカに完全に負けたのだと知り、さらにショックを受けました。私はそれまで、日本とアメリカは、各々が戦争の悲惨さや虚しさを知り、お互いに歩み寄って講和に至って戦争が終結したのだろうと思っていましたから、一方的に日本が負けたというのは大変なショックでした。私にとってこれらのことは、精神的にとても大きな衝撃でした。特に、日本から戦争を始めたということは、私にはどうしても受け入れ難いことで、そのときの私は、日本人として、罪悪感の塊となっていました。そして、自分の罪悪感の重さに耐え切れず、ある事を思い出していたのです。映画の中で「天皇陛下万歳」と叫びながら死んでいった兵隊さんの姿を。そして、「天皇陛下は日本で一番偉いのだから、天皇が国民に戦争させたのに違いない。」と思ったのでした。このようにして、私の小さな心は、畏れ多くも天皇陛下をスケープゴートにして何とか日本人としての自分自身を保たせたのでした。

 この頃の私は、『天皇』「権力者」と見、先のアメリカとの戦争を起こした「暴君」であると見ていたのです。そして、『天皇』に対するこのような見方を無意識のうちに過去の歴代天皇すべてに対して当てはめるようになって行き、日本における『天皇』の存在自体を「悪」であると決めつけるようになって行きました。

 ここまで、私の小学生の時の経験をお話ししましたが、多かれ少なかれ、皆さんも同じような思いを持ったことがおありなのではないでしょうか。当時の私は、ちょうど今で言う「自虐史観」に染まっていたのです。もしあのような「自虐史観」を繰り返し繰り返し教え込まれていたら、おそらく私は、日本人としてのアイデンティティーを完全に失い、「日本なんて知るか、こんな国どうなったっていいんだ。日本人なんかどうなったって知ったこっちゃない。」というような意識で、ただ、個人的な欲望を満たすことだけに関心を持つような人間になっていたかもしれません。幸いに、当時の社会科の教科書は、今のように自虐的ではなく、また、担任の先生も戦前生まれで、戦争体験が自らの一部になっていた為か、自虐的な話はほとんどありませんでした。おかげで私は、日本人としての自分自身をかろうじて失わずに済みました。ただ、先にお話ししましたように、『天皇』に対しては、「権力者」「暴君」「悪」という認識をしていました。

 でも、この認識もその後少しずつ修正されていくことになります。そのきっかけは、単純な歴史的事実からでした。それは、「鎌倉幕府の成立」です。「イイクニつくろう鎌倉幕府」という覚え方がありますが、1192年に源頼朝が初めて幕府を開いたのです。「幕府」というのは武家社会において政治を司る組織であり、鎌倉幕府が成立したということは、源頼朝が政治的実権を握ったということです。そして、その後明治維新までの約700年間、ほんのわずかの期間を除いて、権力は幕府にありました。しかし、その間も天皇はずっと存在し続けていました。つまり、その間『天皇』には権力がなかったのです。実際、将軍の思惑で天皇が殺されたり、将軍の思い通りになる者を天皇にすることがあったようです。また、鎌倉幕府ができる前の平安時代においても、実際に権力を握っていたのは藤原氏のような貴族でした。このような歴史的事実から『天皇』を見ると、全くもって「権力者」ではないのです。そして、権力が無いのですから「暴君」にはなれません。「権力者」でも「暴君」でもないので、「悪」とする根拠もまた無くなってしまうのです。

 もう一つ、『昭和天皇』のことについてお話しします。戦前・戦中と、日本が国の行方を左右するような大事な決定をする時には、天皇陛下がご出席される「御前会議」を開いて、天皇陛下にご意見を求めたそうですが、実際には、御前会議の前に全てが決まっていて、政府としては、建て前上御前会議を開いていたそうです。そして、御前会議の決定事項が、たとえ日本の行方を危うくすると思われるような内容であっても、天皇陛下は諭すようなお言葉を述べることはあっても、自らあれこれ指図をして変更させるようなことはしなかったそうです。それは、日本は民主主義の国であり、陛下御自身は立憲君主であるので、自ら思うようにあれこれ指図したのでは、専制君主になってしまい民主主義ではなくなるという思いからだったそうです。例えば、対米開戦の約3ヶ月前に開かれた御前会議では、軍部がすでに開戦の方向で準備を進めていることに対して、天皇陛下は和平交渉を重点にするよう諭すために明治天皇の御製である次の歌を御読みになったそうです。

 「四方の海 みなはらからと 思ふ世に など波風の 立ちさはぐらむ」

 天皇陛下がこの歌を御読みになった直後、その場にいた一同皆しーんとして、しばらく言葉を発することもできなかったそうです。このようなエピソードからも、天皇陛下には、自ら権力を振るおうなどという考えは毛頭無く、また、あくまでも戦争抑止のお考えがあったことがわかります。

 さらに、終戦後、進駐軍が日本に来た時、天皇陛下はマッカーサーの所へ直々に赴いて行ったそうです。当のマッカーサーは、どうせ命乞いにでも来たのだろうと思い、出迎えもせず、自分の部屋で待っていたところ、天皇陛下がやって来て、このようなことを言ったそうです。「今回の戦争は全て自分の責任であり、国民は何も悪くは無い。罰するなら自分一人を罰し、どうか他の者は許してやってほしい。」と。天皇陛下は、おそらく戦争が始まった時から覚悟をなさってらしたのでしょうね。マッカーサーは、この天皇陛下の態度にいたく感動し、その日、天皇陛下が帰られる時は、車のところまで見送りに出たそうです。このように、私たちが真似しようとしてもできそうに無いくらい道徳的に優れた人が「暴君」でしょうか?「悪人」でしょうか?戦争を起こした「犯罪者」でしょうか?今の私には到底そのようには思えないのです。

 さて、権力も無いのにずっと存在し続けてきた『天皇』とは一体どういう存在なのでしょうか?日本にはなぜ『天皇』が存在しているのでしょうか?これらのことに密接に関連している『日本』についての話を、この後、思うがままにお話しさせて頂きます。

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5.細胞に学ぶ日本の話

 1.はじめにの冒頭で、私が中学生の頃「細胞」「日の丸」が似ていると思った話をしました。下図のように、「細胞」を単純化した図と「日の丸」を並べて見比べてみると、確かに似ていることに皆さんも気づいて頂けると思います。

日の丸と細胞の図

 「日の丸」が日本の国旗となっているのはなぜでしょうか?それは、「日の丸」が日本の国そのもののあり方を象徴しているからです。では、「日本の国そのもののあり方」とは一体何でしょうか?

 日本は、古来、『天皇』を中心に据えた国造りをしています。つまり、日の丸と天皇の図というわけです。

 古来、日本の中心に位置している『天皇』とは、一体何をしてきたのでしょうか?

 『天皇』ヨーロッパの絶対王政における「王」を重ねて見ている人も多いと思います。ヨーロッパの絶対王政においてもが国の中心に位置しています。しかし、絶対王政におけるは自ら「権力」を振るう存在であり、時には国民から富を搾取し、贅沢の限りを尽くすという「暴君」も存在しました。そして、民衆から「悪」のレッテルを貼られ、17世紀から18世紀に起こった市民革命によって、多くは駆逐されてしまいました。日本における『天皇』は国の中心に位置していますが、「権力」が無かったのですから、ヨーロッパの絶対王政とは全く異なるということはおわかり頂けると思います。

 権力から離れて存在し続ける『天皇』とは、実は、古来「マツリゴト」を行ってきた人です。「マツル」というのは、わっしょいわっしょい神輿を担いでお祭りをすることではなく、神棚に「○○の神さま」を祀ることでもなく、「マツハル」ということで、「カミにマツハル」ということです。

 日本語の訓読みの言葉というのは「やまとことば」と言い、1万年以上も前の縄文時代から続いている大変歴史のある言葉だそうで、言葉を構成している一つ一つの音に意味があるのだそうです。この「やまとことば」で読み解くと、「カミ」というのは、「より上位に位置する存在」のことを言うそうです。また、「カ」というのは、「かすかで見えないけれども確かに存在している」ことを言い、「ミ」というのは、「目に見える現象として現れたもの」のことを言うそうです。ですから「カミ」というのは、「目には見えない大いなる存在の一部が目に見える現象として現れたもの」という意味になり、これは、何を隠そう私たちの目に映る一つ一つの自然現象すべてのことです。大自然を司っている大いなる存在がいて、その働きの部分的な表れとして様々な自然現象がある。まさに八百万の神々です。そして、それらの神々による大自然の恵みの中で、私たちは生かされている。これらのことが「カミ」ということばの中に込められているのです。決して英語のGodの訳ではないのです。

 そして「マツハル」とは(現代かな遣いでは「まつわる」と書きますが)、これは「からみつく」とか「つきまとう」という意味で、「一体化する」ということなのです。つまり、「マツリゴト」というのは「大自然と一体化すること」であり、大自然と一体化することによって、大自然を司っている存在、すなわち「カミ」の情報を得ることなのです。

 『天皇』は、「マツリゴト」により、大自然と一体化し「カミ」の情報を得て、その情報を他の人々、すなわち「タミ」に伝えたのです。ですから『天皇』とは、「カミの情報を伝える存在」と言えます。そして、そのような存在のことを「キミ」と言うのです。「キ」とは、「カ」で表された大いなる存在を構成する一部分のことを言います。「ミ」は「目に見える現象として現れたもの」、この場合は、人について言っているわけですから、「この現象界に生きている人間」のことです。つまり、「キミ」とは、「ミ」の中に「キ」が宿っている人、「カミ」の情報のままに生きている人のことです。人には「神の分け御霊(わけみたま)」が宿っていると言いますが、それは、まさに「キミ」のことを言ったものです。そして、『天皇』はそのような「キミ」の中でも最も偉大なる存在であったので『オホキミ』と呼ばれていたのです。「オホ」とは「偉大な」という意味です。

 古代の日本では、「キミ」を中心にして「タミ」が集まって集団生活を営んでいたと考えられます。「キミ」が大自然の中で生きていく為の情報を「カミ」から得て、その情報を「タミ」に伝え、「タミ」はその情報をもとに働き、実行していきます。「情報」と言っても、現代の情報化社会に氾濫しているような「情報」ではありません。「カミ」の情報をもとに生活するというのは、大自然と一体になって生活するということです。そのような実際の生活上の営みが「政(まつりごと)」です。つまり、「タミ」の行う「マツリゴト」です。このように見ると「政」にも権力の影は無いように思われます。大自然と一体になって生活するということは、本来、権力とは無関係のようです。そして「キミ」「タミ」「政」を広く知るだけで、自ら「政」を行ってはいませんでした。このような「キミ」の態度は「治ろしめす(しろしめす)」ということばで表されます。「政を治ろしめす」本来、政治というのは、このことを元にしていたはずで、権力とは関係が無かったはずなのです。

 ここで、「大自然と一体になって生活する」ということについてお話ししておきます。これは必ずしも原始生活をするということではありません。確かに原始生活は大自然と一体になり易いと言えるかもしれませんが、原始生活そのものが大自然と一体になった生活ではありません。大自然と一体になって生活するというのは、『自然の法則のままに生きる』ということです。そして、自然の法則とは、『与える』『循環』『調和』です。大自然からの恵みをお互いに分け与え、それが次の人また次の人へと循環して行く。そのようにして全体に大自然の恵みが行き渡り調和している。そして、その循環はぐるぐる廻っていつまでも続いて行く。それは、永久に続く平和な社会に皆と共に生きることなのです。

 ここまで話すと皆さんもうおわかりのことと思います。「日の丸」というのは、右図オホキミとタミの図のような意味を持った図形であり、それは、『中心に存在している「オホキミ」からの「カミ」の情報をその周囲に存在している「タミ」が働いて表現している』ということですから、「細胞」に見たパターンと同じになっているのです。つまり、「原子核―細胞核―オホキミ―太陽」「電子―細胞小器官―タミ―惑星」いうように対応しており、『相似象』なのです。そして、当然「オホキミ」「タミ」の間には、求心力が働いていたのです。それは、具体的には、「オホキミ」「カミ」の情報を「タミ」に伝え、「タミ」の平和を祈り、「タミ」の政を治ろしめし、「タミ」「オホキミ」を敬い、「カミ」の情報を受け入れ、政として実行していたのです。それは、わかり易く言えば、『自然の法則に則った平和な社会が永久に続いていくことを「オホキミ」「タミ」も皆が志向していた』ということです。

 ここで、「君が代」にも言及しておきます。日本の国歌である「君が代」の歌詞は大変古い和歌であり、古今和歌集に載っているそうですが、幾度も幾度も読み継がれていることから、その起源はもっと古いものだろうと言われています。その歌をここに載せます。

 「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌と成りて 苔のむすまで」

 皆さん、この歌の中には常識的に考えるとおかしいところがありますね。「さざれ石の 巌となりて」というところは、「たくさんの細かい石が集まって、一塊の大きな岩となって」という意味なのですが、これは「形あるもの皆壊れる」という常識、物理学で言う「エントロピーの法則」に反しますね。大きな岩も長年風雨にさらされているうちに徐々に壊れていって、やがては砂になってしまいます。細かな石が集まってどんなに時間がたっても、さらに細かくなることはあっても、一つの大きな岩になることは常識では考えられません。ということは、この歌は、実際の現象のことを歌ったものではなく、ある事を比喩したものだろうと考えられるわけです。そのあることとは、皆さんもうお気づきと思いますが、「キミを中心にタミが集まり自然の法則のままに生活している社会」のことです。「君」「キミ」「さざれ石」「タミ」のことを表しているのです。「キミを中心にタミが集まり自然の法則のままに生活している社会」では、皆が一つの「巌」となって平和を志向しているのです。そして、そのような社会は、「苔のむすまで」「千代に八千代に」、永久に続いて行くのです。

 また、日本神話では、皇室の系譜をさかのぼって行くと、祖先は「天照大神」にたどり着きます。「天照大神」は八百万の神々の中心におはす神です。神々の世界は、「天照大神」を中心にして成り立っています。そして、各々の「タミ」の祖先もたどっていくと、やはり、八百万の神々の中の何らかの一つの神にたどり着くのです。ということは、「オホキミ」を中心にして、その周りに「タミ」がいるという社会は、神々の世界をこの地上に移したものであり、さらには、宇宙の本質的な原理を体現したものなのです。それは、まさに「地上天国」と言えるのではないでしょうか。この場合、実際の系譜が本当に神と繋がっているのかどうか疑問ですが、そのことは問題ではありません。一人一人の祖先が八百万の神々の中の何れかの神に繋がっているという系譜を皆が受け入れて、平和な国造りをしていたということが大事なのです。

 以上お話ししてきましたように、実は、「日の丸」は平和を象徴する図形であり、「日本」という国は、平和をこの世に表わす国だったのです。だから、古代日本の国は、「和」の国と呼ばれたのです。また、自ら「やまと」という国の名前に「大和」という漢字を当てたのです。そして、日本人として平和を志向する精神が「日本精神(大和魂)」の真髄なのです。

 私は、日本人として、そのように思います。

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6.失われた求心力

 前章で、私は「日本」のあるべき姿が平和を表現する国であることをお話ししました。でも、実際、史実に残っている日本を見返すと、特に現代の日本を見ると、とても平和な社会が築かれているとは言えません。つまり、平和を表現する「日本」は「千代に八千代に」とは続かなかったわけです。それは、なぜなのでしょうか?

 それは、「キミ」「タミ」も各々の役割を見失い、ただ、形ばかりが残ったからです。「キミを中心にタミが集まり自然の法則のままに生活している社会」が成り立つには、平和を志向する精神、すなわち「求心力」先ずありきです。それが、いつからかはわかりませんが、「求心力」が失われてしまったのです。中国の歴史書「魏志倭人伝」の中に、「倭国乱れる」という記述がありますが、その頃何らかの理由により、「求心力」が失われてしまったのかもしれません。しかし、全く失われてしまったわけではなかったのでしょう。大和朝廷が日本を統一し、「天皇」が万世一系で現代まで続いているのですから。しかし、その後「求心力」は徐々に失われていったのでしょう。なぜなら、振り返ることのできる歴史の範囲で、日本では、幕府の将軍などの権力者が存在し、争いは絶えることがなく、「天皇」は名ばかりの存在であったからです。つまり「キミを中心にタミが集まって」はいたのですが、それはシステムとして「形」ばかりで機能せず、完全に形骸化していたのです。

 実は、「求心力」とは全体の秩序を維持しているのです。だから「求心力」を失えば、本来は、秩序を失ってしまいます。しかし、それでも何とか秩序を維持しようとすれば、「求心力」という本質を復活させるのが本筋ですが、「求心力」に気付かなくなっていれば、目に見えるもの、すなわち「形」にこだわるしかないので形骸化したシステムだけが残ってしまうのです。

 「秩序」という言葉から、「規律・ルール・統制・制御・コントロール」などという、外から強制されて体制を維持している状態を思い浮かべる方がいらっしゃるかもしれませんが、それは本来の秩序ではありません。それは、「形」だけの形骸化している秩序です。本来の「秩序」とは内在する情報、すなわち「求心力」によりもたらされる状態なのです。

 では、なぜ「求心力」は失われてしまったのでしょうか?

 原子における電磁力・太陽系における引力という求心力は、自然の法則そのものです。また、細胞においても細胞小器官DNAの情報を表に出すという自らの役割を全うしており、自然の法則のまま働いています。しかし、人間社会における求心力は、自然の法則そのものではないようです。なぜなら、人間社会における「求心力」は「平和な社会を築こうとする一人一人の意志」であり、私たちはそのようなことに気付かなかったり、そのような意志を失ってしまったり、時には、自らの意志で自然の法則に従わない行為を行うこともできるからです。ただし、自然の法則に則っていないものは、永久に続くことはなく、やがては崩壊します。だから、現代社会は崩壊の危機に瀕しているのです。

 永久に続く平和な社会というのは一体どのような社会なのでしょうか?

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