しかし、これには無理があります。なぜなら、自分自身の体の中に免疫寛容が起こらないところがあるのです。例えば角膜精巣です。これらは、生まれてこの方自分自身の免疫系に曝されたことがないのです。つまり免疫を担当する細胞たちに接触したことが無いのです。免疫寛容は胎児期から新生児期に生じると言われていて、その時期に免疫系の細胞が出会った体の部分には免疫寛容が成立し、出会うことのなかった体の部分には免疫寛容が成立しないのです。角膜や精巣は免疫系の細胞が到達できない為『聖域』と称されますが、自分自身の体の一部だと言うことは誰でも認識できることです。しかし、『自分』の定義を免疫系に委ねることは、それを否定することになるのです。

 免疫系における自己と非自己と言う識別は、あくまでも免疫現象において理解されるものです。これを普遍的なものとして捉えることは、どうしても自分という存在に対する確固たる定義を要求している者が逃げ込んでいる場所のように、私には思えてなりません。

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