ちなみに、神様のばちは当たりませんが、悪いことをすれば罰は与えられます。例えば、私も学校で女の子をたたいた時、その子が先生に言って、先生から罰として、教室に立たされたりしました。罰を与えるのは、親であり、先生であり、大人です。つまり、現実的に罰を与えるのは、神様ではなく、あくまでも人間なのです。これは、おそらく罪と罰という考えが、人間的な考えだからだと思います。自然には罪も罰も無いのではないでしょうか。もっと言うと、善悪自体が無いのではないでしょうか。善悪や罪と罰は、人間が作り出した、人間社会だけで通用する考えなのではないでしょうか。だから、人間に“ばちを当てる(罰を与える)神様”なんて存在するわけないと私は思うのです。

 ただし、この現象界は、原因があって結果が出るという因果論が成り立っている世界です。(これは高校の物理でも習いました。)だから、物理現象ではなくても、自分が為したことに対しては、その結果が自分に返ってくるのではないかと思います。ただこのことを宗教的な戒めとして言い表したのが、「神様のばちが当たる」ではないかと思います。とすると、この場合の神様は人間的な人格神では無く、自然の法則そのものということになります。私たちは『神』について、やたらアレルギー反応のような拒否的態度をとるのではなく、もう少し賢く考えるべきではないでしょうか。

[戻る][進む]

[TOP][学びの道][気づきの小箱][いのち][Eメール]