私の中には、すでに神様はいなくなっていましたから、このもやもやは、神様の罰への恐れではありません。また、何らかの戒律を破ることへの罪悪感でもありません。そのような、自分の外側から自分を律しようとするものではありません。
これは、自らの内側から湧き上がって来て、自らを正す心です。
そうなのです。このもやもやのことを『良心』と言うのです。(しかし、このことを『良心』と言うことがわかったのは、実際には、ずっと後のことでした。)
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