『A夫人は自分の一人息子を大切に育ててきた。一生懸命になったおかげで、息子は一流大学を出、一流会社へも就職した。息子はおとなしく評判の親孝行者で、母親の言うことにはよく従った。結婚というときになって、またまたA夫人の大活躍が始まった。彼女は、「お母さんの気に入る人なら誰でもいい」と言ってくれる息子のために、まさに三国一の花嫁を求めて苦労する。
努力の甲斐あって、彼女から見て申し分のない嫁が探し出された。しかし、喜びも束の間で、嫁と姑の壮烈な戦いが開始され、彼女にとって決定的な打撃を受けた事件が起こった。すなわち、孝行息子が母親のほうではなく嫁のほうの味方になって、母親に向かってきたのである。その日以来彼女は強い抑うつ症になって寝込んでしまった。やっとの思いで相談に来た彼女は、散々にわが身の不幸を嘆き、親不孝な息子と、身のほどを知らぬ若い嫁の悪口を述べたてた。
それにしても、嫁を選んだのが、息子のほうではなく母親のほうであった点が興味深い。彼女の言によると、彼女が慎重に考えた選択基準はすべて裏目に出たのであった。まず両家の家風や考えかたの差が嘆かれたが、それにしても、あまり似たもの同志が一緒になるのではなく、異質なものが結合する結婚の方が、よい子ができると聞いて決定したことである。嫁の外見のおとなしさにだまされたが、実はしんが強くて、凄まじい勢いで自分にたち向かってくる、などなどと、A夫人が述べたてるのを聞きながら、治療者の心に浮かんでくることは、何と母子分離を遂行するのにふさわしい嫁をこの人は選んできたのか、ということである。まったく、うまくできている。
(中略)
このようなとき、われわれは、ここに直線的な原因と結果の鎖を探し出そうとせずに、全体としてうまくアレンジされていることを見ようとする。言うなれば、A夫人の知ることのない彼女自身の自己がこれをアレンジしたのではないかと考えてみる。そうすると不思議なことに、この結婚は、A夫人の息子にとって、その嫁にとって、そしてそれに関連する誰かれにとってさえ、自己実現のキーポイントとして存在していることが見えてくるのである。自己というのは思いのほかに共有されているのかもしれない。
個人の自我のほうから見るとまったくばかげていたり、避けたいことであったりすることも、自己のほうから見るときは、ひとつの巧妙なアレンジメントであると見えることは多い。』