しかし、私は、日本人の“感性”としては、このようなことを意外とすんなり受け入れることができるのではないかと思います。試しに、『自己』を「神さま」とか「ご先祖さま」に置き換えてみたらどうでしょうか。また、日本語の「お蔭さま」という言葉は、私たちが、はっきりと認識することはできないけれども、どこかに加護してくださっている存在がいるということを無意識のうちに感じ取っている言葉ではないでしょうか。(^_^)
私はこの『自己』の概念を知った時、ハンマーか何かで頭をガーンと殴られたような衝撃を受けました。そして、目からウロコがバラバラと落ちました。なぜなら、私には「なんてうまくできているんだ。まるで誰かが演出しているみたいだな。」と思うことが、日常の些細なことから人生上の大きな出来事まで、これまでに何度もあったからです。その中の一つは、先にお話しした心理学の試験で思いがけず100点を取ったことです。あの試験の結果が、もし95点だったとしたら、私は心理学の勉強をまじめにはしていなかったでしょう。100点だったことが私のやる気に火をつけたのです。そして、誤解を恐れず極端な言い方をすれば、この章でお話ししてきた私に関する事柄はすべて繋がっており、私にとっては、それらはすべて私の『自己』によってアレンジメントされて来たもののようにさえ思えるのです。