これが、私が医師を志すことになったきっかけです。幸い私は、いわゆる勉強のできる子だったので、その後、高校は地域の進学校に進むことができ、憧れの純白の建物の医大に入学することもでき、医師になることができました。でも、医師を目指すことになったきっかけは、今お話ししたように他愛も無いことの連続です。「医師になって人助けをしたい。」とか「世の中の役に立ちたい。」などという高尚な理由が最初からあったわけではありません。なぜなら、私は医師になる前は、医師が実際にどのようなことをしているのかよく知らなかったからです。私が当時認識していた医師とは、風邪を引いて病院に罹ると、恐そうな顔をして、聴診器を胸に当てるだけではなく、のどの奥に棒を突っ込んで「オエッ」とさせたり、ものすごく痛い注射を無理やりしたり、苦い薬を飲ませたりという、人の嫌なことばかりする人というようなものでした。だから、野口英世に出会うまでは、医師になんかなろうとは全然思いませんでした。私の場合はそんな程度の認識だったので、返って他愛も無いことの連続でなければ、医師になろうなどとは思わなかったのではないかと思います。そして、このように考えると、私は、『人生はうまくできている』と思わざるを得ません。何者かが、私のあまのじゃく的な性格をうまく見越した上で、様々な演出を施して私を導いているように、私はずっと感じていたのです。そして、その“何者か”こそが、私の『自己』なのだと思うのです。

 自分自身の及び知らないところで、自分の人生をうまくアレンジしてくれている何者かがいる。これは不思議過ぎて受け入れ難いかもしれません。でも、もしこのことを受け入れることができたら、人生を歩む上でこれほど心強いことはないのではないかと思います。

 あなたは、自分の『自己』を受け入れますか?

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