ここで、ちょっと余談ですが、以前、エーテル体のことをお話しした時に、エーテル体というのは、本来ただの物質である肉体に、生命現象の源である活力、あるいは、生命力といったものを付与する体であるとお話ししました。それだけではなく、エーテル体は肉体の鋳型ともなっているのです。私はこのことを知った時、「やっぱり。」と思いました。
たった一つの受精卵が細胞分裂を繰り返しながら、何十兆個にも及ぶ細胞からなる人体を構成して行く時、細胞たちは必ず決まった形に並んで行きます。それは、あたかも一個一個の細胞が皆自分の並ぶべき場所を知っているかのようです。私は、学生の頃から、なぜこのようなことができるのか不思議に思っていました。現代科学の答えは、遺伝子にそのような情報が書き込まれているからということになるでしょう。確かに、人の個体発生も、その後の人体の機能も、遺伝情報を基に行なわれているのでしょう。でも、現代分子遺伝学における遺伝情報とは、簡単に言えば、特異的な塩基配列でコードされた“蛋白”です。それは主に酵素という、ある特定の働きをする蛋白です。例えば、AB という物質があって、そこにある酵素が働くと、A + B という二つに分かれるというようなものです。そんな一個の蛋白に、ある細胞がどこまで移動してどの位置に並べばよいというような空間情報が、一体どのようにして書き込まれているというのでしょうか?仮に、一個の蛋白にそのような情報が書き込まれているとしても、何十兆個という細胞すべてにそのような情報を持った蛋白が存在するというのでしょうか?そんなことは遺伝子の数から見ても不可能です。(遺伝子の数は数十万個と言われています。)
私は、現代分子遺伝学のセントラルドグマ【 DNA → RNA → 蛋白 】だけで、人体における現象のすべてを説明しようとするのは無理ではないかと感じていました。細胞の配列に関しては、そのことを規定することのできる見えない何か、鋳型のようなものがあるのではないかと思っていました。ですから、神智学でエーテル体のことを知った時、「やっぱり。」と思ったのです。(^_^)