いわゆる精神世界の分野では、「『魂』の修行として人間としての生を送る」ということが一般的だと思います。人間として一生を送る間に『魂』は多くのことを学び、それによって自らを成長させることができるのだとされています。

 学生時代、私には『人間タマネギ論』の他に、もう一つ人間に関する持論がありました。慣習的に、「あいつは器(うつわ)の大きな人間だ」などという言い方がありますが、私は、人間を様々な能力を持った器として捉え、その器の形や大きさ、すなわちその人の能力は、一人一人皆違うのだと考えました。そして、このような考え方を『人間器(うつわ)論』と言っていました。第三章後編でご紹介しました、『心をエネルギーとして捉え、全体として器として見る』という、私の心に対するアプローチはその応用なのです。

 当時の私は『人間器論』を、特に他人との関係性を重視して考えていました。どういうことかと言いますと、器が小さい人は自分中心で他人を理解することができない人で、器が大きくなるというのは、より多くの他人に共鳴でき、理解できるようになることだと考えていたのです。

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