そして、「魂」の成長とは、そのような「器」を大きくすることだと考えていました。例えば、お釈迦様は過去生において何度も何度も輪廻転生を繰り返しており、その中には動物や罪人としての生もあったとされています。幾度もの転生により様々な生を経験し、魂が成長した結果、悟りを開くことができたわけです。ですから、お釈迦様のような“悟りを開く”ほど魂が成長している人の器は、私たちのような未熟な人間の器を丸ごと含んでしまっているほど大きいのだと理解していました。そして、“最終的にそのような人間になることがこの世で生きる目的”なのだと考えていたのです。

 いわゆる精神世界を学んでいる人の中には、このような話をそのままではないにしろ、大筋では肯定する人が多いのではないかと思います。

 もしそうだとすると、人生の目的を簡単に言うと“悟りを開く”ということになります。このような表現をすると、何だか哲学的で高尚な感じがしますね。

 でも、ここには思いがけない落とし穴があるのです。

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