そして三つ目。カリスマ信奉や優越感をさらに増強させるものとして、「神秘体験」があります。彼らは悟りに近づく為に“修行”と称して瞑想などを行なっていました。瞑想は、本来静かにものごとを考えることです。宗教に欠かせない行為にお祈りがありますが、真摯な祈りも一種の瞑想と捉えることができます。現代では、ストレス解消の為のリラクゼーション法として、あるいは、インスピレーションを得る為の方法として受け入れられていますね。
例えば、ゆっくりとした呼吸に意識を集中させることにより、心身をリラックスさせ、精神を統一します。そうして外界からの感覚入力を遮断し、さらには心の内部から湧きあがってくる想念にも捕らわれない状態にするのです。そのような状態では、日常とは違う意識が働き、インスピレーションを得易くなるのです。また、瞑想中には、光が見えたり、不思議な感覚が生じたりすることはよくあります。彼らの場合は、かなり激しいことも行なっていたようですから、何か通常の意識状態とは異なる神秘的とも思える体験をしても不思議ではありません。そのような神秘体験を特別視し、“悟り”に近づいたサインとして解釈したとすると、さらに落とし穴にはまってしまうのです。