2006/4/13 uploaded

 弱みのある人間は、その弱みに付け込んで強く出てくる人間には、何も言えずにただ従ってしまう傾向があります。「カリスマ信奉」は、それに似たところがあります。「自分は未熟な人間だ」という意識は弱みではないのですが、カリスマにとっては、その人に付け込むのに持って来いの受け皿なのです。だから、カリスマが強く言ってくることには逆らえないのです。

 では、「自分は未熟な人間だ」という意識は、自分で勝手に思っているのですから弱みではないのに、なぜ“受け皿”になるのでしょうか?

 弱みを握られているわけでもないのに逆らうことができないというのは、実は、意識的にしろ無意識的にしろ自らそのような状態を望んでいるということでもあるのです。これは一種の思考停止状態です。カリスマが言っていることが正しいことかどうか、そして、彼の言うとおりに行動すべきかどうかを“自分自身で”判断することを避けているのです。「彼(カリスマ)が言うのだから間違いは無い」とか「彼(カリスマ)が誤ったことを言うはずが無い」などと言い訳をして、“自分の”行動の判断をカリスマに委ねているのです。このようなことは、実は、「自分は未熟な人間だ」という一見謙虚に思える意識の裏に、「自分に対する自信の無さ」があるからなのです。私がこれまで何度か言及してきた「主体性」を喪失している状態なのです。

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