2006/4/28 uploaded

 カリスマ的な人物は知識や技能は優れているかも知れません。でも人間的な器はどうなのでしょうか。もちろん中には器の大きな人物もいるでしょうが、自信過剰で驕っていたり、虚勢を張っているような器の小さな人物も多いのではないでしょうか。某宗教教団のカリスマ教祖は、まさにその典型ではないかと思います。彼は、当時の上九一色村の施設に警官隊が捜査に入った時、施設内に特別に作った、人ひとりしか入れない狭いスペースに隠れていたのです。(しかも、一説によると、現金約1千万円の入った段ボール箱を抱えていたそうです。(-_-;)逮捕されてからは、様々な彼の実生活が暴露されました。愛人がいて、何人も子供を産ませていたことは周知の事実です。また、信者には肉食を禁じ、粗食を指導しておきながら、自分は肉も含めて、何でも好きなものをたらふく食べていたのです。(このことは彼の体形が如実に物語っています。(-_-;)食欲、性欲、金欲、権力欲、何と俗世間の我欲にどっぷりと浸かった宗教者でしょうか。こんなにも器の小さな実体を様々な宗教的な知識で飾って見えないようにし、嘘とはったりで人を集めてカリスマを気取っていたのです。私は、人が集まることとカリスマ的人物の器の大きさには、直接の関連性はないのだと思います。

 さして人間的に優れているわけでもない人物に対してカリスマ信奉するというのは、一体どういうことなのでしょうか?

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