そんなことを続けた結果どうなったかと言いますと、表面的に“無感動”になってしまったのです。そして同時に、“無気力”になってしまいました。それまでやってきたパターン化したことは出来ますが、何か新しいことに取り組もうという意欲が出なくなってしまったのです。そこでようやく、「何かおかしいな。」と気づきました。初めは、何がおかしいのかわかりませんでした。なぜなら、何がおかしいのかを詮索する為の“余力”すら無いような状態だったからです。それでも、何とか少しずつ少しずつ自分の心の中を探って行きました。そして、ずいぶん時間がかかりましたが、その間、幾つもの気づきを得てようやくわかりました。私は自分のネガティブな感情を抑圧していたのです。
様々なネガティブな感情が沸き起こってきた時の対処法は、「囚われない」ということなのですが、その為には、「ただ感じて受け流す」必要があります。ここで大事なのは、まず“感じる”ことなのです。そうすることにより、感情のエネルギーは滞ることなく発散されて消えて行くのです。しかし、私がしていたことは“無視”でした。様々なネガティブな感情をあってはいけないものとして否定し、感じて受け流すつもりが無視していたのです。例えば、誰かに怒りを感じたとします。すると、器の大きな人間は他人がどんなことをしていても許すことができるので、そのような人間が他人に対して怒りという感情を抱くことはないはずだと考え、怒りという感情そのものの存在を否定したのです。本来は自分が生じた感情なのに、あたかもそんなものなどない風を装っていたのです。すると、発散されること無く行き場を失った感情のエネルギーは、当然の帰結として潜在意識(無意識)に抑圧されることになったのでした。その為、それらのエネルギーに対抗する為に余計な心のエネルギーを使うことになり、いつの間にか無感動・無気力になってしまったのです。(このような心のメカニズムについては、第三章後編でお話ししましたね。(^_^;))結局、私がしていたのも器の大きな人間の“ふり”であり、“いい子ちゃん主義”だったのです。(+_+)