私は、人格自体を意識してその方向に向かって何かをするのではなく、特に人格の向上を意識するわけではない何か別のことをすることによって、人格というのは向上して行くのではないかと思っています。

 これはどういうことかと言いますと、人格の向上を“富士山の頂上へ行くこと”に例えて考えて見ましょう。富士山の頂上では、下界にいる時には想像も出来ないような景色や光景を見ることになると思います。私たちがやってしまいがちな人格者のふりは、富士山に登ってもいないのに、さも富士山の頂上にいるかのごとく振る舞うことに相当します。下界にいて見えるはずがないにもかかわらず、雲海や日の出の御来光が見えるとうそぶくのです。実際には、富士山の頂上へ行こうとすれば、登山道を一歩一歩登っていくというプロセスが必要です。そのプロセスは、当然、頂上にいる時とは全く違った行為ですし、見える景色も違います。ですが、そのような頂上にいる時とは全く違った行為が、実際には自分自身を頂上へと近づけているのです。

 さらに付け加えますと、実際に富士山の頂上に達するには幾つもの道があります。また、5合目まで自動車で行き、そこから登って行く方法もあります。極端には、頂上までヘリコプターで一気に行くこともできるでしょう。これと同様に、人格を向上させる方法も幾つかあるのではないかと思います。そして少なくとも、人格を向上させる方法は、人格者のふりをすることではないはずです。

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