私は、人格というものは魂を基にして形成されているのだとは思っていますが、一個人の人格は魂の全体ではなく、一部を基にしているのだと思っています。その魂の一部とこの現象界との相互作用により、そこに生きる人間の人格が形成されているのだと思っています。これはちょっと理解しにくいかもしれませんが、人格の基となる魂の一部を“植物の種”のように考えてみるとわかりやすいかもしれません。魂の一部は、この現象界という環境の中に植え付けられた“人格の種”なのです。植物の種は、日当たり、温度、水、栄養素など、与えられた環境条件によりその育ち方が変わります。同じように、人格の種も、人間として生きていく環境に応じて、形成される人格が変わり得るのです。
そして、『魂』とは、そのような“人格の種”の集合体なのだと思います。ですから、この世に生きる私たち一人一人の魂は、今生における私たちの人格とは全く異なった人格の人間を、この現象界に存在させることもできるのです。それが、過去生であり、未来の生であると思うのです。さらに言わせていただければ、おそらく、一つの魂が、同時に二つ以上の人格をこの世に存在させることも可能だと思います。全くの赤の他人だと思っている人が、実は魂で繋がっているということです。ひょっとすると、一時期話題になった『ソウルメイト』も、実はこのような関係の人たちなのかも知れません。しかも、一つの人生で形成された人格は、その体験と共にすべて魂に獲得され、その一部になり、別の人生における“人格の種”として利用可能になるのです。