まず、『魂』は【『からだ(BODY)』とは別次元に存在している】ということです。単にこのことだけからは、魂は霊(広義)とは別なのだということだけになってしまい、魂は霊よりも、人間のさらに一段階奥の次元に存在するのだと考えて、大学時代の私のように「人間タマネギ論」に魂を組み込んでしまっても、別におかしくないように思えます。そして、そのような魂が心を司るのだとすると、人間の自我の本質は魂だということになり、人格の向上=魂の成長と考えても、別に問題はないような気がします。

 しかし、そうではないのです。『魂』が司っている“心”というのは、人間の自我ではなく、顕在意識も潜在意識(無意識)も合わせた、より広い【心の全体性】なのです。ユングが唱えた『自己(self)』の概念は、まさに『魂』の働きのことを言っていると、私は思います。すると、『魂』は「人間タマネギ論」に組み込むことが出来なくなります。なぜなら、『自己(self)』は自我を超えた広がりを持っているわけですから、人格という一人の人間の枠に収まっているものではないからです。(第六章75〜84

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