そしてさらに、このような転生観からは、過去生のカルマは存在しないことになります。なぜなら、私たちの過去から順番に転生してきているわけではないからです。カルマは、過去生において成し遂げられなかった為、今生まで持ち越された宿題のようなものと考えられています。しかし、これは過去生とは関係なく、今生の人生を送るに当たって、魂が課した課題と考えればよいのではないでしょうか。
ちなみに、カルマのことを、過去生で悪いことをした為に、今生では自分が同様な目に遭うことになるという、悪い因縁のことだと捉えている方がいらっしゃるのではないかと思いますが、それは違うと思います。なぜなら、既にお話ししたとおり、転生に順序がないだけではなく、転生は、あくまでも「魂」の成長の為のものであるので、魂が主になって営まれているシステムのはずだからです。だから、魂が自らにとって必要であると認めれば、どこかの人生で行った事の逆の立場に立つような人生を送ることもあり得るとは思います。でも、それは決して、転生というシステムそのものに報復の仕組みがあるわけではないのです。例えば、殺人を犯したとしても、殺した方も殺された方も魂レベルでは合意しているのです。合意しているからこそ、この世で殺人という事象を生じさせることができるのです。私たちにとっては、殺人は大変大きな出来事です。でも魂レベルでは、殺人そのものよりも、その殺人から、当事者も含めた関係のあるすべての人々が、各々一体何を学ぶのかの方がずっと大事なのです。なぜなら、それこそが魂の成長の鍵を握ることであり、人間としてこの世に生きる意味だからです。