宗教教団や精神世界の人たちは、人間としての人格を見て、その人の魂が優れているとか劣っているとか言及していますが、元々それは無理なのです。なぜなら、魂とは一人分の人格からは想像できない程、多くの人格の集合体だからです。それは10人、100人、いや1000人分かもしれません。少なくとも転生を重ねた分すべての人格を含んでいるはずです。つまり、魂は、一人の人間の人格と比べれば、すでに比較にならない程、成長していると言えるのです。

 皆さん、どうでしょうか。人格的な成長を目指して生きるとか、完璧を目指して生きるとか、悟りを開くなどということが、本当に人生の目的なのでしょうか?偉い人や立派な人になるということが、私たちの目指すべきことなのでしょうか?

 私にはもはやそのようには思えません。なぜなら、魂は、今の自分よりも、既にずっと成長しているし、ずっと完璧なのですから。某宗教教団の彼らが陥ってしまった“落とし穴”の本質は、このことを知らなかった(あるいは、受け入れなかった)ことにあると、私は思っています。

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