ここで、ひょっとすると、私が人格の向上を否定しているように思われている方がいらっしゃるかもしれませんので、少し言葉を付け加えておきます。私は人格の向上はあり得ると思います。でもそれは、先に、“富士山の頂上へ行くこと”に例えてお話ししましたように、人生の目的ではなく、人生を生きたことの結果だと思うのです。人格の向上を特に意識したわけではなく、人生をただひたすらに生きていると、いつの間にか人格が向上している。そのような意味で、もしかすると人格の向上は、魂の成長のこの世での表現かもしれません。
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