人は完璧である必要はないのではないでしょうか?

 なぜなら、元々、魂の“一部”がこの現象界に出っ張ってきた存在なのですから。それに、大本の魂ですら、完璧ではないはずです。なぜなら、完璧ではないから、未だ成長を続けているのですから。私たち一人一人の人格からすれば、比較にならない程成長しているはずの魂でさえ、完璧ではないのです。それなのに、ちっぽけな存在の私たちが完璧になるとか神になるとか言うのは、大変な思い上がりだと、私は思うのです。

 元々完璧ではない存在が完璧になれると思い上がるから、完璧の“ふり”になってしまうのではないでしょうか?

 私たちは、元々完璧ではないので、ありのままの自分、完璧ではない自分をさらけ出しても、実はそれで“完全”なのではないでしょうか。つまり、私たちがこの世に生まれ出るときに、「完璧ではないけれども、自分としてはそれで“100%”なんだよ。」ということを、あらかじめ魂は認めているのではないでしょうか。ということは、勝手に作り出した外の基準で測った完璧にはなれなくても、“自らの内側に元々ある完全”にはなれるはずです。だから、“在りのままの自分になって、有りったけのことをして行くこと”が、人生を生きる上で、とても大切なことのように、私は思うのです。

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