2006/7/26 uploaded
また、先に、人の人格を植物の種に例えましたが、植物の種は、元々、背が高くなるとか実が多くなるなど、その種固有の性質を持っています。でも、実が多くなるはずの種だからと言って、絶対に実りが多くなるわけではなく、日当たりが少なかったり、温度が低かったりすれば、実りが少なくなるのは当たり前です。それでも、同じ条件で比較すれば、他の性質の種よりも実りは多くなるはずです。ですから、元々持っている性質というのは、絶対的な形で表現されるのではなく、ある環境における相対的な傾向としてしか表現され得ないかもしれないわけです。私は、人格も同様ではないかと思います。大本の魂の一部に由来する人格の種としての性質も、この世で生きていく上での傾向としては認められるけれども、絶対的なものとしては表現され得ないのではないかと思うのです。なぜなら、人格の種が育っていく条件(環境)は、人それぞれ全く異なっているのですから。