ちなみに、3つのビンで実験した場合、最も早く、かつ、汚く腐ってしまったのは、何も声をかけずに“無視”したごはんでした。この結果を私は、とても象徴的に受け取りました。私が思ったことは、『やはり、この世は“絆”の世界なのだな。』ということでした。声をかけるということ、あるいは、思いを伝えるということは、自分と自分以外の存在との間に繋がりを持つということであり、すなわち、“絆”です。無視することは絆を断つことであり、それはこの世において、最も虚しいことなのだと感じました。そして、「ばかやろう」のような汚い言葉であっても、そこには、まだ“絆”としての余地が残されているのではないかと感じました。たとえ「ばかやろう」と言い合う関係であっても、それも“絆”としての一表現なのではないかと思うのです。「愛の反対は憎しみではなく、無関心」と、かのマザー・テレサもおっしゃっています。表に出てきたものを見て良いとか悪いとか言うのではなく、たとえどんな形であるにせよ、その背後で、私たちは皆繋がり合っているのだということを、まず認め合おうではありませんか。私はそう思うのです。

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