でも、この中の(3)の説明(第七章前編57)の中で、私は次のようにお話ししました。
「‥幽体同士では肉体における五感のような感覚が存在するということです。とすると、私たちの幽体は亡くなった人の幽体を見ているはずです。そして、幽体で見た視覚情報が私たちの肉体の脳に伝達されれば、視覚化され、認知される可能性があります。通常、このようなことが起こらないのは、幽体で見た視覚情報を肉体の脳に伝達する経路に何らかのギャップが存在する為ではないでしょうか。そのギャップを埋める条件が整えば、幽体が見えるのではないかと思います。」
これは逆転の発想です。つまり、私たちは、幽体を見ることができないのではなくて、本当は誰でも見ることができるはずなのだという考えです。そして、何らかの理由があって、“通常”は、見えないようになっているのではないでしょうか。
先にお話ししましたように、私は、「霊(広義)」自体が何らかの波動で成り立っていると考えていますので、幽体も波動的な存在と考えています。ですので、“幽体で見た視覚情報が私たちの肉体の脳に伝達”されるときは、当然、何らかの波動によって為されると考えられます。とすると、幽体からの波動情報を脳が受信すれば幽霊は見え、受信しなければ幽霊は見えないことになります。そして、この受信するかしないかというところが“ギャップ”の本体と考えられます。