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2000/06/20

4.HTMLに学ぶ
『思いやり』の話

 実は、今年の4月に、『痴呆に学ぶ人間の話』(もし読んでいらっしゃらないようでしたら、先に読んで頂ければ幸いです。)の講演を地元で行いました。私が勤務している病院の関係で、一般の人に向けて、痴呆に関しての医療講演を依頼されたのですが、私は痴呆の専門家ではないので、『痴呆に学ぶ人間の話』を講演することにしたのです。

 講演内容は、『痴呆に学ぶ人間の話』のページと同じで、OHPを作成して行いました。一回の講演に約一時間半かかりましたが、それを、場所を変えながら、一日に3回も行なうというハードスケジュールでした。その時のことを少しお話ししましょう。

 元々は、今年の4月から介護保険が開始されたので、介護保険に関しての啓蒙という目的で、保健婦さんが介護保険の話をして、ついでに、ドクターが高齢者に関係のありそうな痴呆の話をするということでした。講演の宣伝期間も短く、結局、講演を聴きにこられた方は、一回につき10人程度、3回の合計で、約30人で、ほとんどの方が60歳以上と思われました。

 私の講演中は、皆さん熱心に聞いてくださっていましたが、中には、睡眠学習に入ってしまった方もいらっしゃいました。

 ひと通り話をした後、質問の時間を取ったのですが、普段の生活の中では思いもよらないことを私が話したせいでしょうか、まずは皆さんしーんとしていました。そのうち、「うーん」とか、「話はわかるけど、実際には難しい」という声が聞こえてきました。その後いくつか質問が出たのですが、ある高齢の女性が次のような質問をしてきました。

 「それで、痴呆にならないようにする為には実際どんなことをすれば良いのですか?」

 私は、この質問に、どう答えて良いのか戸惑いました。なぜなら、『痴呆に学ぶ人間の話』は、この質問の答えを自ずと導ける内容のはずだからです。私は、「その事を自分で考えること自体が痴呆を遠ざけることになるのです。」と答えました。するとこの女性はこう言ってきました。

 「自分で考えろって言ったって、今まで考える習慣なんかなかったし、そんな事言われたって無理です。」

 何事もやる前から無理だと決めつけてしまっては、それ以上はどうしようもありません。私は、「今までの生活習慣を急に変えるのは大変なことですし、それは無理でしょう。人間は一足飛びに何でもできるわけがありません。少しずつでいいですから、生活の中に自分で考えて決めて行動していくということをしていけばいいのです。」と言いました。それに対してこの女性はこう言ってきました。

 「そんなことやってたら、もうこの年なんだからそのうちほんとにボケてきてしまう。それに、こんな年寄り一人じゃ、考えようにもやる気が出ないんだから、じゃあ、やる気を出すにはどうすればいいんですか?」

 終始このような感じで、私が何を言っても納得する様子はありませんでした。この女性は、あるお昼の番組のように、「大丈夫、これをすれば、痴呆にならない。」というような話を期待していたようなのです。具体的に「何々をすれば良い」ということを聞きたかったようで、私の話は理解できなかったようです。

 私は、現代人が「人間として生きる」ということを忘れているように思え、良い悪いを超えて、ただ「人間として生きる」という原点を思い出しましょうという思いから、『痴呆に学ぶ人間の話』を書き、講演で話をしたのですが、この女性にとっては、そんな私の思いなど余計なお世話だったのでしょう。おそらく、この女性のように口には出さなくても多くの人がそう思っていたであろうと、今は思います。なぜなら、ほとんどの人は、「痴呆」の話を聞きにきたはずなのですが、実際に私が話したのは、痴呆の話ではなく、『人間』の話だったのですから。話を聞いて面食らうのも当然です。そうなのです、私は、場違いな話をしていたのです。話をする人がいて、そして受け皿となる、話を聞く人がいて講演会が成り立つわけですから、自分の言いたい事だけ話すことができればそれでいいというのでは、それは、ただの独りよがりです。エゴです。今回の出来事は、私の独りよがりから生じたことであったと、今は思います。もちろん自分の言いたい事を話しても良いのですが、自分の話に対して受け皿を持っていない人に対しても何らかの配慮をすることが大切なのではないかということです。それは、『思いやり』という言葉で表されることです。

 この『思いやり』というとても大切なこと、昔から知っていた言葉なのに、その意味するところが全然わかっていなかったのです。実は、今回お話しした出来事があったとき、私は、HTMLには、NOSCRIPTという要素<NOSCRIPT>タグと</NOSCRIPT>タグで挟まれている部分)があることを思い出しました。この要素は、JavaScriptに対応していないブラウザで、JavaScriptを用いたページを開いた時、JavaScriptが関与している機能が働かず、ページを正しく読んでもらえない可能性が出てくるので、そのようなブラウザで閲覧している人に対して、何らかの情報を記述しておく為のものです。

 私のサイトでは、『心臓の話』のページ上にボタンを押すと動く心臓が出てくるところがありますが、あの部分にJavaScriptが使われています。JavaScriptに対応しているブラウザでは、NOSCRIPT要素の部分は表示されないので、ほとんどの人はわからなかったでしょうが、ソースを表示させてみると、『心臓の話』のページにNOSCRIPT要素が書き込まれていることがわかると思います。

 人間は、共通の事柄を経験しても、各々で感じ方が違いますね。それはつまり、人をブラウザに例えると、同じHTMLドキュメントを開いても、ブラウザによって表示のされ方が違うということに対応します。まして、JavaScriptという受け皿のないブラウザでは、JavaScriptが関与しているところは全く表示されない、つまり、人間で言えば、全く理解できないということになるわけです。そこで、NOSCRIPTという要素を加えてHTMLドキュメントを書けば、JavaScriptという受け皿のないブラウザにも何らかの情報を提示できる。つまり、受け皿のない人にも理解を促すことができるのです。このようにすれば、多くの人が情報を共有するすることができます。このことは、人間の世界で言えば、多くの人が分かり合えるということです。多くの人が分かり合うことによって、この世が平和になって行けるのではないでしょうか。

 「多くの人が分かり合えるように、自ら何らかの配慮をする。」
それが『思いやり』なのではないでしょうか。
私はそう学ばせて頂きました。

平成12年6月20日

Dr.0910

目次 3.HTMLに学ぶ 5.七夕

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