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2001/08/15

13.心の終戦記念日

 皆さんこんにちは。『Dr.0910』です。

 今日は56回目の終戦記念日ですね。一昨日、小泉総理が靖国神社に参拝されたことで、そのことに対して、まるで当たり前のことであるかのごとく、嫌悪感や反感の感情を明らかにする反応が近隣諸国において、また国内においても見られます。私はこのような状況を見て、「終戦と言っても、本当の意味で戦争は終わっていないのだな。」といつも思います。

 「本当の意味での終戦」とは何でしょう。

 1945年8月15日、確かに武力で争い合う戦争は終わりました。でも、人々の心の中から争いあう心は無くなったでしょうか?

 『細胞に学ぶ平和の話』の「1.はじめに」(もし読んでいらっしゃらないようでしたら、先に読んで頂ければ幸いです。)にも書きましたように、戦争を引き起こす根本の原因は、私たち一人一人の心の中にある「競争」「対立」の意識です。私たち一人一人の心がこれらの意識に捕らわれなくならなければ、本当の意味での『終戦』はありえないのではないでしょうか?

 ところで、皆さんはこの『終戦』という言葉をどう捉えていらっしゃるでしょうか。実は、この『終戦』という言葉には深い意味があります。先の太平洋戦争において、日本は連合国軍の提示したポツダム宣言を受け入れ、無条件降伏しました。このことは、勝ち負けを問題にする戦争においては、負けを意味します。つまり「敗戦」です。しかし、なぜ敢えて『終戦』なのでしょうか?

 このことに関して、ずいぶん前にテレビ番組で、誰かが「日本は負けを認めたくないから敗戦と言わず終戦と言っている。往生際が悪い‥」と言っていました。当時は私も、「負けを認め敗戦と言ったほうがいさぎよい。」などと思っていました。でも、『終戦』と言っていたものを「敗戦」と言い替えると、どうもしっくりこないのです。何かが違うのです。その何かが最近ようやくわかりました。

 昭和天皇は、ポツダム宣言を受け入れ戦争を終結させるということを国民に知らせる為に、『終戦の詔』をお出しになりました。この時、天皇陛下は、「敗戦」では国民の中に遺恨が残るので、敢えて『終戦』という言葉をお使いになったそうです。これは、勝ち負けという二元論を超えた世界の平和を希求するお心遣いの顕れでしょう。戦後56年間、戦争に負け、敵国だったアメリカに占領されたにもかかわらず、日本国民が特に恨みの感情も持たず、平和な心で暮らしてこれたのは、あの時、天皇陛下が敢えて『終戦』とおっしゃってくださったからではないでしょうか。『終戦』という言葉には、このように『平和の心』がこめられていたのです。

 でも、『終戦』という言葉は浸透しましたが、残念ながら『終戦』という言葉の真意、すなわち『平和の心』は十分に伝わってはいなかったようです。

 忌まわしいと思える過去だからといって、夢物語のように思い込んでいては、そこから何も得ることはなく、現実は何も変わりません。私たちは、最も悲惨である戦争からも学べるのです。最も悲惨であるからこそ、そこから『平和』を学べるはずです。戦争から逃げず、戦争を直視して、本質をつかみ取ろうという姿勢があればできるはずです。

 今こそ私たちは、『終戦』の言葉の真意を理解し、今日の日を本当の意味での終戦記念日である、『心の終戦記念日』としようではありませんか。そして私たち一人一人の心が争いを超越し、平和な世の中が築かれるという祈りを込めて、私は、8月15日『平和の日』とすることを提唱いたします。

平成13年8月15日
56回目の終戦記念日、心の終戦記念日に、平和への祈りを込めて

Dr.0910

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